”もっとキミの好きなように生きろ”
JTBC'ただ愛する仲’’でカンドゥは自分を置いて天国へ行ったおばあさんを思い出しこの言葉を記憶した。
カンドゥにおばあさんは”人々の助言はこの世で一番使い道のないものだ。
これからキミのことを人々に聞いてみても、人の目が怖くても苦しむな”と言った。
カンドゥを演技した2PMのイ・ジュノが挙げた’ただ愛する仲’の名場面だ。
その中で彼は”キミの好きなように生きろ”と言う言葉は自分に一番力になる台詞だったといった。
実際のイ・ジュノはどうやって生きているのだろうか。
人気グループ2PMのメンバーとして、ソロ歌手として、俳優として、国内外を行き来し休む暇なく10年を走ってきた。
しかしイ・ジュノは忙しい日常に疲れることよりも上手くなりたいという意欲が前面にある人間だ。
イ・ジュノの’趣’は熾烈さだ。
熾烈な時間を経て今日の彼がいる。
JYPエンタテインメント最初の再々契約を実現させたグループ2PMのメンバー、個人でも日本で5年連続コンサートツアーを開催したソロ歌手、5年だけで初めて主演を任されたドラマを成功的に終えた俳優。
彼は”20代を燃やして確実な成果を出したい”と言う目標を達成したかどうかはよくわからないといった。
今年デビュー10周年。
彼は誰とも比較できないことをやり遂げていて、これからもこれからも果たしてくれるだろう。
もっと、イ・ジュノの心のままに生きればいい。
10.’ただ愛する仲’を終えた所感は?
イ・ジュノ:まだ(カンドゥの感情が)たくさん残っている。
日本のツアーの日程のためほかの俳優たちよりも撮影が先に終わった。
僕の分量をすべて撮影しておいて日本ツアーをやりながら帰ってきたらドラマが終わっていた。
ほかの俳優とスタッフたちは釜山で打ち上げをすることで終わったしるしになるけど僕は今でも撮影しに行かなければならないような感じだ。
だからなのか、作品の余韻が長い。
10.昨年KBS2'キム課長’を撮影するときキャラクター没入のために自ら家に閉じこもった。
カンドゥになるためにはどんな過程を経たのか?
イ・ジュノ:カンドゥは傷を持って生きるキャラクター。
僕ができる最善の苦痛を自分にあげたかった。
今回にも自らを閉じ込めるしか方法がなかった。
釜山で撮影をする間ワンルームを借りて住んでいた。
カーテンを全部閉めて日光を見なかった。
撮影して帰ってくると換気もしていない部屋で自分で設置したスタンディングサンドバッグを打ちながら過ごした。
もちろんほかの部屋に被害がないようにエアキャップを敷いた。(笑)
10.カンドゥという人物をどうやって表現したかったのか?
イ・ジュノ:最初に考えたカンドゥは(放送より)もう少し躍動的だった。
傷があるが路地裏生活が染み込んだ乱暴な男。
そのために自分が主導的に立つことには能動的だったがそうでない時にはしょぼく沈んだ、起伏がひどいバージョンのカンドゥを設定した。
2番目のバージョンだった。
起伏がなくいつも疲れているキャラクターだ。
キム・ジウォンPDに尋ねてみたら、劇の雰囲気上後者がもっといいんじゃないかといった。
そうやってやってみようとして演技をするけれど僕がほとんど全部する感じがした。
僕は何をしたということもなくOKサインがでたり。(一同笑)
PDのところへ行って僕の悩みを言った。
”僕が何をしているのかわかりません。”と言ったらば”心配するなよ、うまくやってるよ”という答えが返ってきた。
後で編集したのを見たときPDの言ったことを理解した。
10.話をするとき手の動きをたくさん使う。静的なキャラクターを演技する難しかった?(笑)
イ・ジュノ:本当に死ぬと思った。
PDが台本リーディングの時からカンドゥは無表情じゃないといけないといった。
だけど無表情の中にいろいろな表情がないといけないって。
そして我慢しなさいという言葉も言った。
撮影しながらずっと’これでいいのか?’’なんだろう?’そんな考えをした。
’キム課長’のときソ・ユルという人物が悪役であるところ、躍動的な人物だったので演技するのが楽だった。
僕の心のまま手ぶり足ぶりを使ってもよかった。
反面カンドゥは言葉の抑揚も凸凹しないように上手く制しなければならなかった。
撮影始終PDの辛抱しろということばを思い出して僕の体に鍵をかけた。
10初めてするメロウ演技はどうだった?
イ・ジュノ:僕が今まで出演した作品の中で愛情シーンが一番多かった。
思ったよりはにかみにすごく敏感な性格らしく、演技しながら適応した。
釜山での5か月はカンドゥとして暮らした。
ロマンチックな場面も平安にうまく撮影することができた。
10.相手役のムンスを任されたウォン・ジナとの呼吸は?
イ・ジュノ:良かった。
もともと明るいエネルギーを持っている人で新人俳優であるうえ情熱もあった。
その人も’ただ愛する仲’が初主演作でありもっと頑張らなければならないという考えを持っていた。
その熱意がすごく良かった。
全体的に撮影現場の雰囲気が良かった。
PDもスタッフたちもよい方々だった。
すべての俳優たちがこんな話をしますけど…(笑)
特にこのドラマがPDと一緒にしてきたスタッフたちが半分、またtvNドラマ ‘쓸쓸하고 찬란하神-トッケビ’で呼吸を合わせてくれたスタッフたちが半分で静かながらも楽しく面白く撮影した。
10.’ただ愛する仲’を通して’イ・ジュノのロマンス演技をもっと見たい’という反応が多くなったけれど
イ・ジュノ:出たというならば良かった。(笑)
不思議なことにけ普段ジナとふざけているときは性別を問わず本当に心が通った友達のようで面白かった。
でも、シュートが入ると二人ともカンドゥとムンスに変わった。
平常とは違った感じを受けた。
メロウだけの魅力があるということが分かった。
演技しながら恥ずかしいセリフもあった。
16回にムンスに’僕から愛をもらおうとして生まれてきたの?’というセリフを言うときちょっと大変だった。(笑)
でもそれは平凡なイ・ジュノとしての恥ずかしさでカメラが回ると没入できた。
10.’ただ愛する仲’は名セリフが多いドラマとして挙げられている。
一番感銘を受けた台詞や場面があるならば?
イ・ジュノ:カンドゥとおばあさん(ナ・ムニ)の場面だ。
劇の中でおばあさんが亡くなりカンドゥが一人で過去を回想する。
椅子にカンドゥがとおばあさんが座って話をするのだけれど、おばあさんが
”他人に神経を使わずに自分の好きなように生きろ”という。
その場面を撮影するときナ・ムニ先生の顔を見るだけで涙がじんとにじんだ。
それは先生の実力だ。
まなざしだけで一緒に演技する相手方の心を動かすという力…
10.大先輩であるナ・ムニと演技した所感は?
イ・ジュノ: 先生とお目にかかったのは初めてだった。
以前先生が出演した映画’アイキャンスピーク(2017)’をみた。
またMBCシットコム’’思いっきりハイキック(2007)’でカボチャサツマイモとして笑いをくださったことも記憶している。
こうして実際にお目にかかった先生は僕が持っていたイメージとは違った。
先生がおばあさんだというキャラクターを演技しながら北朝鮮訛りをお使いになるのだけれど、台詞をやり取りすると考えられない感じを受けた。
時には友達のように、母と息子のように…カンドゥはおばあさんに甘えて心の中の深い話をすることができてこれによるおもしろさがあった。
10.ナ・ムニから聞いた称賛や助言があったならば?
イ・ジュノ: ありがたいことに称賛してくださったことがあった。
’’キミ、真面目にうまい’’というお言葉だった。
実はまだその意味がどういうことなのかを探している。
よくわからなかった。
上手いということは上手いということだけれどに真面目にうまいということは何だろうか?
正確にはわからないが飾り気がなく真実に演技しようと努力した。
その努力をよく見て下さったなんじゃないかと思ってみた。(笑)
先生は本当に眼目がよくセンスがすごい。
トントンと投げる一言が面白い。
僕にも壁を作ることなく対応してくださった。
会話を交わすとき臆することがなかった。
一度は控室のドアを開けて入っていったのだけれど
”外は雨が降っているの?”と尋ねられた
”止みました”と言ったら”台詞しようか”とおっしゃった。
そうやって二人でメイクアップとヘアスタイリングを受けながら台詞を練習した。
先生は撮影を控えて練習をたくさんなさる。
だけど相手俳優を配慮する気持ちのために僕が疲れているんじゃないかと長い間おっしゃってくださっていてもNGが出ると先に
’ごめんなさい’とおっしゃった。
これから演技をしながら本当に見習わなければならない姿勢だと思った。
★ “너, 착하게 잘한다”は私も訳しようがなくていまだに困っています。
ジュノ君が理解できいないということででき、訳が違っていると思いますがご理解ください。
10.映画’監視者たち’で演技を始めた以後、武士、大学生、弁護士など多様なキャラクターを務めた。
作品やキャラクターを選ぶ基準があるのか?
イ・ジュノ: 95%が僕の意見で5%は会社の意見による。
2PMで、またソロ歌手で国内外の活動をしなければならないと言ってみると俳優としては1年に1作品ずつくらいしか出演はできない。
3拍子がうまく合わなければならないからだ。
タイミング、台本、そして制作陣が僕を求めているのか(笑)
その中で僕がやってみたことがないジャンルとキャラクターを選ぼうとしている。
フィルモグラフィーを重ねる間僕が消化できる役割の幅を広げたいからだ。
僕の性格もそうだ。
一つだけ特別に好きなわけではない。
音楽をジャンルの区分なく好きなように演技にあってもいろいろなものが好きだ。
10.作品ごとに新しい役割に挑戦した結果はどういうことのよう?
イ・ジュノ: これからももっと挑戦できると思う。
今もできなかったことが多い。
勿論僕がどんなジャンルに特化された人なのかもわかってきた。
でもどうせすること、みんな上手になりたい。
(役割が決定されれば)色々なバージョンを作っておいて制作陣とミーティングをするが、準備してきたことを良いと同意してくれる時満ち足りた気持ちと達成感を感じる。
10.歌手と俳優という2羽のウサギを両方つかんだという評を聞いている。
バラエティに進出する考えは?
イ・ジュノ: 僕の考えはそうだ。
なんであれ始めれば確実にやらなければならない。
うやむやになることは嫌だ。
MBC'私は一人で暮らす’に出演したことがあった。
観察バラエティであっても(放送が)面白くなかった。
僕が主体的で笑いをあげる能力がない。
そんな面でウヨンがうらやましい。
デビュー初めに2PMがみんな一緒に出演したMnet’ワイルドバーニー’’やMBCエブリワン’トッタクニョ’で僕はいつも編集で丸ごと削除だった。
自ら’バラエティのごみ’だと思った(笑)
SBS’ランニングマン’に出演しても10時間を超えて走り回ったのに分量が出なかった。
勿論バラエティもうまくなりたい。
魅力的なジャンルだから。
代わりに僕がうまくできるときに始めたい。
10.熾烈に生きる自分を見て2PMメンバーたちはどんな言葉を言ってくれる?
イ・ジュノ: チャンソンはとてもおじさんみたいに生きないで、もう少し肩の荷を下ろせという。
ウヨンは遊ぼうって。(一同笑)
僕が仕事をしないときは家にだけいることを知っているからJUN.K兄さんは”何してるの?”って聞いてくれる。
僕が疲れた性格でメンバーたちがいつも”君、すごく、重い荷物を背負って病んじゃいけないよ”と心配してくれる方だ。
でも僕は歌手、俳優として活動する以上すべての事をもっと頑張って、うまくなりたいという欲が大きい。
10.1年365日始終意欲的であるはずがないのに
イ・ジュノ: 無力感はデビューしたころにたくさん感じた。
チームとして忙しく過ごしてたくさんの愛をもらったけれど僕は他のメンバーたちに比べてグループを知ってもらう機会を多くもらえなかった。
僕がこのチームのためにできることが全然なかったと思った。
’この道は僕の道ではないのかな?’という心配をしたほどだった。
だから舞台の上でアクロバットを頑張ってやった。
でも活動の途中大きなけがをしたことがあった。(イ・ジュノは2012年コンサートリハーサル途中腰を痛めた)
それさえもできなくなってしまった。
挫折した。
身体を使えない状況になって結局手術をして1週間病院で寝ていた。
’僕は使い道のない人’だという自壊に陥った。
そんな中で’監視者たち’のオーディションの消息を聞いた。
退院するや否やオーディションを受けに行った。
回復してなくて顔がパンパンに腫れた状態だったけれど、僕に初めて与えられた機会をどうやってもつかみたかった。
その年に日本でソロアルバムも出した。
その時から頑張って走った。
僕もチームをもっと広く知らせるのに貢献したかった。
疲れて大変なことは何でもなかった。
むしろ気分が良かった。
10.与えられた仕事が手に負えなくなったことはなかったの?
イ・ジュノ: 手に負えない。すごく良くて胸がいっぱい。
10.軍入隊に対して話をできなかった。
入隊前までの計画を立ててあるのか?
イ・ジュノ:演技も歌もツアーも最大限たくさんやりたい。
だけど心のままにしないこともある。
最近感じた点がある。
手の付けようがないことを推し進めないということだ。
実は今もほかの日程が決められておらず休むことになると不安だ。
特にファンたちが僕の歩みに対した発表を待っていて期待しているんじゃないかと僕も’僕今これをやる。’と早く教えてあげたい気持ちが大きい。
でも今は流れに僕を任せたい。
’ただ愛する仲’’を撮影しながらたくさん感じた。
健康と些細な幸せを探すことが重要だということを。
デビューしてこうやって多くの国にツアーで行ってきて記憶に残ることはステージの事ばかりだ。
勿論ファンたちと一緒にした時間は幸福だったけれど遠くまで行ってランドマークに行って写真も写しおいしいものも食べてもう少し遊べばよかったが、スケジュールにゆとりがなくそうはできなかった。
それで以前は海外に行くと車の中で寝たり携帯を見たりしたのだけれど最近は窓の外を見て(風景を))目にたくさん詰め込もうとしている。
10.最近2PMがJYPエンタテインメントの対外協力理事として任命されたけれど
イ・ジュノ: 心構えを別にしたくて要請した。
会社に2PMチームを作って走るとも言った。
2PMがJYPで2度目の再契約をした最初のグループだ。
これからももっと後輩たちに良い見本になりたい気持ちで対外協力理事をさせてもらえることになった。
特に今は会社の役員たちが兄、弟として呼ぶ仲になったこともあり、2PMがJYPのアイコンになりたい気持ちが大きい。
僕が僕らの会社の顔だという考えると心構えや行動が変わっていないだろうか。
歌手として10年、俳優として5年活動し続けたら新しい刺激が必要だ。
頑張りたい。
10.現在テギョンが軍服務中でウヨンも今年下半期入隊を予想するといった。
完全体2PMを作ろうとするとどれくらい待たなければならないか?
イ・ジュノ:?最小限3~4年かかるんじゃないだろうか?
完全体の空白期をなるべく最小限にしようということが僕らの気持ちだ。
だけどとにかく一人ずつ行ってこようとすると物理的に3~4年はかかるようだ。
そんな意味でスーパージュニアは本当にすごい兄さんたちだ。
人数が多いと言うなら今も軍服務中のメンバーがうならいるのだけれど、その中で残ったメンバーたちだけで活動もしてツアーもして本当に良いチームだと思う。
10.2PMの結束力も手ごわい。
粘り強いチームワークの秘訣は何なのだろうか?
イ・ジュノ:20代を一緒に過ごした仲間たちという点が大きく作用しているようだ。
10年を共に過ごしたならば嫌いな人も好きにはならない。(笑)
デビューしてあーだこーだが多かった。
理由なく悪口を食べることもあった。
試練が僕らをもっと固くした。
またメンバーたちと一緒にすれば何をしても面白く楽しい。
チームとしてファンたちと出会うこともいい。
これから10年後にも今のように僕らが一緒にできるかどうかは未知数だ。
そうであっても僕らを待ってくれるファンたちがいる。
彼らに対したありがたい気持ちも僕らが2PMとして一緒にする大きな理由の一つだ。
10.自分にとって2PMとは?
イ・ジュノ:家族。
いなければだめだ。
完全な僕としていられるように作ってくれる存在だともいえる。
10.映画’20歳’関連のインタビューの時、”30歳になる時まで好奇心を呼び起こす俳優になりたい”といった。
成し遂げているか?
イ・ジュノ:さて。
これは僕の考えよりも人々の意見が気になる。(笑)
自評しようとするならばまだ欲が出る。
今まで演技できることに感謝し満足だけれど’僕の20代’を燃やして確実な成果を出そう”といった僕の夢を築いているのかはまだよくわからない。