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てんびん座、O型、人生だらだら、そんな私の記録です。映画とおいしいものがすき。

by chikat

テギョンが朗読したキム・フン「空き地から」#1 父 和訳

http://m.post.naver.com/viewer/postView.nhn?volumeNo=6146213&memberNo=16754860


テギョンの朗読と一緒に読んでみました。

キム・フン  『空き地から』#1 父

マ・ドンス(馬東守)は1979年12月20日、西大門区サヌェ洞サン18番地で死んだ。
馬東守は1910年戌年生まれ、ソウルで生まれ少年期を過ごし満州の吉林、長春、上海をさすらい解放後にソウルへ戻り6.25戦争とイ・スンマン、パク・チョンヒ大統領の時代を生き69歳で死んだ。
馬東守が死んだ年に中央情報部長キム・ジェギュが大統領パク・チョンヒを拳銃で撃ち殺した。
パク・チョンヒは5.6.7.8.9代の大統領を務めた。
パク・チョンヒは心臓に弾丸を当てて倒れて”大丈夫だ、俺は大丈夫…”と独り言を言った。
馬東守の死とパク・チョンヒの死は’死んだ’ということのほかに実際には何の関連もない。
馬東守の生涯に突起に値することもない。


馬東守はガンの判定を受けて3年後に死んだ。
肝臓に見つかったガンは他に大腸に広がり脊椎の中までしみ込んだ。
骨がすり減りくしゃみをしても関節が外れた。
馬東守のガンは遅く長かった。
体が崩れていくほどガンの勢いは増し馬東守の息が絶えた後にもガンは肉体の中で3日間生き続けたが死体を埋葬するときに消滅した。
馬東守のガンは人体に寄生はしたが人体とは別に独立していたのだった。


サンヌェ洞サン18番地は北漢山西北付近の風当たりだった。
25坪ほどのセマウル型のブロック家屋が狭い路地に沿って長く並んでいた。
地帯が高く水道水がしばしば途切れて冬には道端が凍ってしまい清掃車が上がってくることができなかった。
荷物を負って糞尿を集め練炭と食べるための水をかけた。
馬東守が死んだ日は最低気温が零下10度だった。
その日、天気が曇り村には練炭ガスのにおいが立ち込めていた。


馬東守は一人で死んだ。
馬東守が死ぬころに配偶者イ・ドスン(李道順)は65歳だった。
李道順は練炭2枚を縄にぶら下げて凍り付いた坂道を登ってくる途中に転び股関節にひびが入った。
李道順は市立病院に入院して動くことができず記憶がはっきりせず独り言を言った。
痴呆の初期症状だった。


馬東守が死ぬ時馬東守の次男マ・チャセ(馬次世)は傷兵階級章をぶら下げて東部前線GOP部隊に服務していた。
休暇が出た馬次世傷兵はその場所を守りながら父の下の世話をして大小便受け止めた。
馬次世は患者の腹に管を差し込んで腹水を出す方法を肝臓病患者から学んだ。
がん細胞が溶け出して腹水がドロドロしていた。
馬次世は食塩水で管を拭いた。
12月20日夕方、馬次世が外出したそのうちに馬東守は空き部屋で死んだ。


最後の一息が抜け出るとき馬東守の足が内側に曲がった。
馬東守は斜めに横たわり体を折り曲げて死んだ。
外出から帰ってきて今の扉を開けるとき馬次世は父の折曲がった肉体を見て死を直感した。
父の死体は胎児のように見えた。
死は肉体の寂蒔は頑強だった。
振り返ることもできず言葉をかけられなかった。


あ、終わったんだなあ、終わった……
馬次世傷兵は長い溜息をついた。
人間の生涯はその人と関連がない。
生涯自体のすべての過程が自らが脱力しなければ終わるということのようだった。
したがって人が死んでもその一つの生涯が集めてきた連鎖は相変わらず長く続いていきながら生きている人々の身体が締め付けられるようになるかもしれないということを馬次世は予感した。
終わりではないこともあるという予感は終わったという事実より更に切迫した。


帰隊日が2日残っていた。
馬次世は父の死体の上に布団を覆い大通りを降りてきた。
馬次世は公衆電話で部隊に父の死を報告した。
代々当直士官が電話を受けた。
服務規則によれば5日間休暇を延長してもらえた。
戦友たちの弔意を代わりに伝え、喪中期間をうまく過ごし、帰隊時間を厳守しろ、帰隊したら死亡申告書の写本、死亡診断書の写本を提出し大隊長の後見を受けろと当直士官は言った。


馬東守は死ぬ前の6か月の間昏睡状態で息をあえぎながら譫妄(せんもう)のうわごとをしゃべった。
時々意識が戻った時は細めを開けて壁掛け時計を見た。
時間は曇った日の夕方ころのようだった。
時間は馬東守の生命とはかかわりなく遠く辺境に多勢で押しかけていったのだが馬東守の肉体はその時間の引き潮に乗り水平線の向こうに引っ張られていった。


馬東守の最後の意識は死が引き潮に乗って遠い水平線の向こうに流れていく途中また満ち潮に乗せられてこの世の海岸に押されてくるということを三回繰り返した。
息が止まる前に魂が先に肉体を離れて遠くへ行きもう一度体の中に帰ってきた。


馬東守の最後の意識は時間の波に乗せられて生と死の間を行ったり来たりしながら3度引き潮に乗ってあちら側にわたっていき足が折れ曲がってしまった。


あそこだよね……
ここから水と何度かさらに超えていけばあそこがまさにそこなんだよね……
と、心の中で独り言をいうときにころ合いが変わって馬東守の魂はまたこの世に戻ってきた。
この世の部屋の中には壁に時計がかかっており秒針が9から10に上がっていった。
秒針が12をさすとき馬東守の魂はまた引き潮に乗っていった。
水の向こうには方向がなくてどの方向でも東西南北でもなかった。
ここなんだなあ、ここがまさにここなんだなあ、また来たんだなあ……
その水と向こうの死の世界は広がっていた。
生命の一番端からすべての感覚が崩れていきその場所でこの死の世界だけが作動する不慣れな感覚が芽生えた。
それは聴覚でも視覚でもなくその感覚で馬東守はこの世を超えた世界を感知することができた。
そこで時間は発生以前の湿気で固まり進行方向が判断できないまま霧で溶けた虚空に群れとなって歩いた。
そのどんよりとした時間の霧が割れた隙間にこの世とあちら側の世界がちょっぴり見えるようだった。


そこは雪に覆われた満州の吉林、長春なのか
日本軍の空襲をける上海か大連だった。
そこは植民地のソウル南山警察署、裏路地か人共地下のソウルなのか、避難地のプサンかもしれなかった。
満州の雪に覆われた荒れ地では辮髪に中服という身なりの亡命者たちが雪のくぼみの中で頼みごとをされてアヘンを売っていた。
爆撃編隊が上海都心部上空に出撃し道路と建物の上に飛行物体の影が流れた。
ビルディングが崩れて煉瓦とガラスがこぼれ落ちてきて道路がふさがり金持ちたちが高層から紙幣をまき散らした。
繁華街のショーウィンドーの前に座っている見すぼらしい姿の夫たちは爆撃機を見上げて麻雀牌を置いた。


植民地のソウル南山警察署では不逞をしたした朝鮮人たちが拷問される。
うめき声が警察署の塀の外のヘジャンクッ横丁にまで聞こえた。
警察官たちが夜勤する日ならばうめき声が宵の口から明け方まで聞こえた。
避難地プサンの海雲台海岸で避難民たちは海側にお尻を出して座り大便を垂れた。
海雲台は砂浜が傾きなだらかで波が静かで大便を垂れるのにはよかった。
便を落とす隊列は砂浜の向こうまで続いていた。
避難民たちは海水で校門を洗った。
便の塊が波に浮かび海の中に押し流された。
カモメたちが便の塊を取り出して首を伸ばした。


水とあちら側の風景は互いに入交りいつどこなのか識別できない記憶が重ねられていた。


ここではない。
ここは現世だ過ぎてきたこの世だ……
死んでここにもう一度来るはずがない。
これは違う。
ここじゃない……

馬東守は波に乗っていきながらも首を横に振った。
それは馬東守が生きてきた現世の風景であったがそこには人の声、獣の声、雨風の音も出ることもなく風景はただ寂莫としていた。
そこで死ぬものたちは終わりのない野原をまちまちにわたっていくようになっていて、たがいに出会うことはなかった。
風が吹き霧の隙間が埋まり馬東守はまた布団の上に押されてきた。
そのとき馬東守はちらっと昏睡から脱した。
天井の壁紙のまだら模様が馬東守の意識をちょっと呼び戻した。
その壁紙はあの世の模様に見えた。
3度目の引き潮に乗せられて馬東守の意識は水平線遠くに引っ張られ足がもつれた。
馬東守は死ぬ直前に見た詩の世界を誰にも言えなかった。
どんな言葉を使おうとしたのか死体は口を開けて顎には唾液が乾いていた。
馬東守は横向きに横たわり一人で死んだ。





by chikat2183 | 2017-01-31 22:45 | 2PM翻訳記事